愚痴から出る仕事のアイデアからは進歩・進化は生まれない
なんか子供が産まれてから時間の使い方も変わったり、職場の立場も変わったりして、それに適応するためにどんどん保守的になった結果なのか、愚痴っぽくなる時間が増えた気がする。
新しいことを身につけたりしながら挑戦していた時は、愚痴も言ったけど言ったらさっと「今目指しているこれが目の前の世界をちょっと変えることが出来る」と信じて没頭していたし、こういう時にやったことがきちんと成功して今の仕事が出来ている。
ある部分についてはどんどんつまらない人間になっているなーと感じてたけど、どうも明確にここから抜け出るというきっかけが無かったので、愚痴を言い続ける自分が最近のつまらない自分の象徴的行為として、ここにまとめてみて抜け出る努力を始めてみようと思う。
じゃあどうするのか
これが正解ではないかもしれないけど、今のままよりよっぽど良いので、書いてみると当たり前のことばかりだけどまとめてみる。
愚痴は長くても五分で終了
そもそも愚痴にする事って解決しづらい問題だったりする訳で、うだうだ実行に移せない・言ってる割には直訴したりしないような解決案を言っているなら時間の無駄だからやめた方が良い。
お陰様で僕を必要としていて貢献できる仕事がある訳で、その期待に一切応えないようになるのも良くない。
あと愚痴っていうのは、愚痴を言いたい人間同士が集まった時に言うのが多いと思うけど、最悪なのは愚痴があるか無いか別として、その時点でいうつもりがない人に、自分の愚痴を聞かせるだけになっているのなら、ブレストして楽しくした方が建設的だし、考えたら僕はこっちのほうが好きな訳だから答えは出ている。
記憶には留める
しかし愚痴の中で出た案はいつか役にたったり、機会によってトリガーになって、事が一気に進む時がある。だから建設的なものは出来るだけメモっておく。
外圧を課題にぶつける
愚痴にするのは結局のところ、組織内の話が殆どであって取引先やましてやお客様が軸になることはほとんど無い。
だから課題に対してお客様や取引先を軸に自分が進められることがあるのであれば、そこをドンドン伸ばして行けば状況が変わることだってある(現にネットの力が僕の仕事を前に進めてくれたことは何度もあった)。
また外部の力が数字に現れれば組織内の説得も可能になり、逆に一気に事が進む。
幸い僕は中と外に対してそれぞれアプローチが出来る仕事をやらせてもらっているので、これを活かさない手は無い。