「ラーニング・レボリューション」を読んで、ICT教育の課題とか色々考えてみた

Maker Faire Tokyoの会場で出展された方がOLPCを使っていたのを見て、久しぶりにOLPCの事が気になり、その後そういえば積読したままのOLPCに関する本があったので読み始め、先日読み終わったので所感とかを書いてみようと思います。

OLPCについて

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Wikipediaより

OLPCは、世界中、特に開発途上国の子供たちに革新的な教育理論に基づく学習の手段を提供することを目的として活動しているNPOである。このプロジェクトの実践にあたり、必要となるハードウェアとして"XO"と呼ばれるラップトップ・ソフトウェアとして「Sugar(英語版)」(シュガー)と呼ばれる親しみやすいユーザインタフェースや「(英: Squeak)英: Etoys」(スクイーク・イートーイズ)など、そしてこれらを学習コミュニティとしてつなぎあわせるメッシュネットワークやコンテンツの開発、コンテンツを提供するスクールサーバの開発などが現在世界中のボランティアの力を得て、進行中である。このうち、特に日本国内でマスメディアに取り上げられることの多い、俗に「100ドルパソコン」(英: $100 laptop)と呼ばれるラップトップ「XO」は、それを持ち歩く先がどこでも「学校になる」ように非常に高い耐環境性・低消費電力といった特徴を備える。

OLPC - Wikipedia

OLPCの成果については賛否両論ありますが、OLPCプロジェクトによってネットブック(以前家電量販店で配られていたノートパソコン)を作り出すノウハウのきっかけになったり、OLPC以前からあったコンピュター教育の研究の中で生まれた言語やソフトウェアが日の目を見たり、iPadAndroidに対応した教育アプリやScratch、最近ではRaspberry Piやそれに関連するプロジェクトなど、様々なプロジェクトに影響を与えています。

「ラーニング・レボリューション」所感

この本はOLPCに関わった関係者が、成り立ちからXO(100ドルPC)を開発した時のエピソード、実際に途上国にXOを配布した時に起きた問題点、その後の成功・失敗事例について、彼らの視点で書かれています。

OLPCプロジェクトは、非営利団体が行う活動としては珍しい問題解決のためにハードウェアを開発するアプローチを取っていて、そのために起こる様々な苦労が表からは見えない形起きていたのが良くわかりました。
また彼らはハードウェアと同時に、理論に基づく最適な教育環境も用意するためにソフトウェアの開発も行っていたので、ただでさえ少ないリソース・資金が消費され、パソコンを配った後のサポート(現地の教師や子供に使い方を教える・ネット環境を整備する)が足らずに、結果としてパソコンを配っただけになってしまっているケースも書かれており、なかなか難しいものだなあと感じました。

彼らとしては、XOを納品する相手は様々な国や自治体・団体や地域になるので、それぞれに最適化していく必要があり、相手側の対応に合わせてサポートを提供していくスタンスになっていたようですが、裏を返せばそれ以上の責任は持てないとなってしまっている部分もあり、ここらへんをもう少しなんとか出来れば、うまく行った事例も増えたのではと思います。

また本の中ではうまく行った事例の一つとしてルワンダの事例が書かれているのですが、以下の日本の方が書かれたブログにもあるように必ずしもうまく行っている訳ではない場所もあるようです。

OLPCは子供たちが学校の授業だけではなく、自宅に持ち帰って自分の興味に合わせて自学自習に使うことを理想としているようなのですが、教えられる人がいないだけでなく、

  • 盗まれた場合の責任の所在はどうするか(教師の責任になることも)
  • 電源・ネットはどうするか?
  • 学校に導入したのにプライベートで使わせるのはいかがなものか
  • ゲームばっかりやってしまうのではという親・学校の考え

等々、途上国でなくとも日本でも同じ問題が議論されそうな事が足かせになっているようです。

現状1台200ドル程度のコストが掛かっているということなので、先進国だとしてもそれなりのコストと思いますし、ましてや途上国にとってはかなりの負担を覚悟して導入しているので、上に書いたような考えで積極的にはなれないというのは、まあしょうがないよねと思います。

これらについて自分の考えをまとめると、電源・ネットの環境の課題は残るものの、学校でしか使わないのであれば寄付で集めた中古のPCにLinuxを入れて環境を整えるほうが安上がりだし、Raspberry Piをベースに用意する方法も良いと思いますし、自宅にも持ち帰って使わせたいのならAmazonのFire HDのような中華タブレットをベースにキーボード・マウスを用意すればXOに似た環境を用意できるので、Androidだとセキュリティなど機器のコントロールに課題が残りますが、選択肢の一つになるのではと個人的には思いました。

日本で子供たちにパソコンを触らせるための課題

日本は途上国よりは環境が整っているような気がしますが、個人的には子供たちと範囲を限定すれば非常に遅れているのではないかと思っています。
実際スマホ・パソコンの普及率はとても低いです。
style.nikkei.com

海外では高校位からは宿題はパソコンでGoogleドキュメントなどを使って提出するようになるので、それに合わせてパソコンも必要になるのですが、日本の場合は大学からなのが実態でそれが数字に現れていると考えます。

スマホに関しては記事の普及率以上にもっと持っていると思うのですが、スマホは結局便利なメディアプレーヤー・ゲーム機であり、自分の知的好奇心を拡げたり学習ツールとしてはまだまだパソコンの方に分があると僕は考えています。

人口が減り生産性を上げていかないといけない、働き方改革云々と言われている中、パソコンを文房具の延長で終わらせてしまっているのは、親世代の我々がパソコンに対して正しい理解をして子供たちに使わせる事も必要で、「これを教えるのは学校の責任」とするのは無理な話で、子供より大人たちの意識改革が必要で、現状はパソコンとかに触れたことが無い途上国の村にいる親御さんと、状況はそんなに差がないのかもしれないと個人的には感じました。

本の中でも村にいる親たちにも使い方や意義を説明する時間を作ることによって、良い成果に繋がったという事例が書かれており、日本でも可能性がある取り組みなのかもしれません。

結局は良心・情熱が必要な分野?

もう一つ読んでいて感じたのは、どうしてもボランティア・情熱がある起業家・良心のあるお金持ちのような方がいないと、教育という分野での改革というのはなかなか難しいということです。

教育という名の投資は、短期的にも長期的にも成果を見ていくことが難しい分野で、だからこそ社会の投資の優先順位で後回しになったり、重要性を感じていてもとても慎重になり変化が起きづらくなっていると思います。
また投資対象が最終的には国の経済にも影響があることではありますが、「人」に対して行う投資なので、うまく行かなかった時の責任の重さが覚悟を上回ってしまい慎重になってしまうということもある分野でもあると思います。

だからこそ上に書いたような人たちがいないと変化を起こせないのかもしれませんが、これを打開するには国や自治体・団体という大きな単位ではなく、ひとりの子供に対する最低単位である「親」という単位の中で、「自分はわからないから」と思って諦めたり他人任せにするのではなく、子供のために何が出来るかを少しの時間を使って考えることが大事なのだと僕は考えます。
今は来年から始まるプログラミング教育に関連した本もたくさん出ているし、習い事としてパソコン・プログラミング教室も増えたし、親がわからなくてもきっかけを与えることは出来る環境は整って来ていると思います。

機器を揃えるにしても、PS4Nintendo Switchと同じ値段で、ブラウジング・プログラミングの環境はもちろん、グラフィックや映像編集が出来るパソコンが用意できるようになったし、まだ今の日本ならこの程度の投資が出来る状況でもあるので、2020年からのプログラミング教育の開始というきっかけが良い方向に働いていけば良いなと期待しています。

今回読んだ本は、4年以上前に出た本で書かれている内容は10年前の話も含まれているものでしたが、今年読んだことによって様々な事柄について考える時間や機会を与えてくれて、仕事・自分の子供たちにどうフィードバックしていくかのアイデアも出来たし、地域や社会に対してもなにか出来ることはあるのでは?という新たなテーマも自分の中に作ることが出来たので、これからも定期的に読み直していきたいと思います。