お題「#この1年の変化 」

お題「#この1年の変化

このお題を見て色々と考えてみましたが、東日本大震災の時も初めての子供が生まれたという意味も含めて世界が変わったと思ったものですが、この1年は本当に変化を感じた1年だったなあと思います。

非同期と同期でのコミュニケーションの変化

仕事柄・仕事にまつわる文化として、非同期・同期のコミュニケーションについては、現実・バーチャル含め柔軟性がある方だと思っていましたが、「世の中全体で長い時間をかけてそれなりの少数が適応していく変化」と思っていたのが、「世の中全体短い時間でそれなりの数の人が、それなりのレベルで適応した(させられた)変化」になったのは正直驚きでした。

この変化はコロナが落ち着いても続くと言う方が結構いらっしゃいますが、僕は結構ネガティブに感じていて数年後にはかなりの人が「元に戻る」と思っています。
それでもそれなりの少数の方が「使い分ける」事を続けてくれるだけで世界に変化が生まれるとも思っているので、この辺はポジティブにいたいと思っています。

自分の中の「社会」という定義の変化

どちらからというと「社会」というのは企業で働く人間としての責任みたいな視点での「社会人」というイメージで居たのですが、この1年で「地域を構成する一員」という視点の方が企業で働く人間という感覚より強くなったと感じています。

これは別に会社に忠誠心が無くなったとかそういうものではなく、地域を感染症という問題の中で安全に保ち、自分の家族はもちろん地域の子供・年長の方達が安心して過ごせるようにするには、自分の都内に働きに行く意識一つで地域の環境に大きなリスクを生み出すと考えると、地域に対しての責任感とかそこから地域に対しての愛着や関わりを持つことへの意識というのは大きな変化でした。

見栄の変化

これは歳を取ったからとかあるかもですが、自分の気持ちを抑えるとか、周りがこうだからとか、体調良くないのに虚勢を張って頑張るとか、みんながこれを買ったから自分も買いたいとか、そういう見栄を張らなくなった(もしかしたらなってしまった)と思いました。

不幸にも感染され人生が大きく変化されている方、生活に凄い変化が起きてしまっている方の話を見たり聞いたりしていく中でこのような気持ちが芽生えてきたのかなあと思っています。

我慢とか根性とかそういう気持ちが歳をとって無くなってしまい、ある意味自分が好きなようにやる自分勝手になってしまったというのだったら良くないなあと思うのですが、結局自分が快適にいない限り、家族にも仕事でも社会にも自分の良さを最終的には出せなくなってしまうので、「身の丈にあった」行動をしたいなあという気持ちが強くなったと感じています。

コロナが落ち着いた時に、今回受けた心の変化がその後の自分の人生に良いきっかけになったと思えるように、自問自答をし続けたいと思います。